本記事では1990年 – 2000年の欧米、ソビエト連邦及び日本を中心とした音楽史を解説する。
1990年代の概観
- 年表
- 1990年 東西ドイツ統一
1991年 ソビエト連邦の崩壊
1993年 インターネット解禁
1995年 阪神淡路大震災
2024年 現在から見る1990年代の最も大きな出来事は、インターネットの解禁だろう。アメリカで1990年にインターネットへの加入制限が撤廃されて、商用サービスが解禁されたのを皮切りに、インターネットがたちまち世界中に広がっていく。日本では、1995年から利用者が急増したことから1995年がインターネット元年と呼ばれている。
また、東西ドイツの統一や、ソビエト連邦の崩壊が起きて、世界が文字通り「新たな時代の幕開け」をする時期であった。
音楽界も節目である2000年を前に、一つの時代が終わりを迎えようとしていたのかもしれない_。
巨匠たちの終焉
この10年の間に世界の前衛音楽界をリードしていた巨匠たちが次々と亡くなる。
1990年には、イタリアの電子音楽、セリエリズムを代表する前衛音楽家のルイジ・ノーノが、そして1992年にはこの20世紀の音楽史シリーズでも再三取り上げたジョン・ケージ、オリヴィエ・メシアンが相次いでこの世を去った。1995年には韓国が生んだ大作曲家イサン・ユン、1996年には日本を代表する現代音楽家の武満徹、さらにその2年後の1998年にはソ連第一線の作曲家 アルフレート・シュニトケ、そしてフランスでスペクトル楽派を創始したジェラルド・グリゼーも亡くなってしまった。
「現代音楽」の特徴
このように各国の「現代音楽」の土台を作り上げてきた音楽家たちが亡くなった1990年から2000年であったが、彼らの築き上げた音楽はそれぞれかなりはっきりとした特徴がある。
これまでは、本当にざっくりとした括りで、バロック音楽→古典派→ロマン派→印象派などと各時代の音楽をまとめることができたのだが、20世紀の音楽、特に戦後以降は非常にそれが困難である。
一つの美的理念によって音楽の様式・スタイルが決定されてきたこれまでの西洋音楽の歴史とは異なり、果てしなく音楽が細分化されている。それはどれが主流でどれが傍流、という単純なものではない。いわば「小さい音楽」がひたすら世界各国で共存している、といった状況だ。
ここで再び、この10年間で亡くなった音楽家の音楽の特徴をみていこう。
- 音楽家/音楽の特徴
- ノーノ 電子音楽
ジョン・ケージ 偶然性の音楽
メシアン カトリシズムと現代的表現の融合
イサン・ユン/武満徹 西洋と東洋の融合
シュニトケ 多様式主義の音楽
グリゼー スペクトル楽派
どれも、「小さい音楽」、前衛的なスタイルだが、これらとは対照的に90年頃からはこうした前衛音楽の差異化のレッテルとして使われている言葉の一つに〈祈りの音楽〉や〈癒しの音楽〉と呼ばれるものがでてきた。
祈り/癒しの音楽_アルヴォ・ペルト
アルヴォ・ペルトやジョン・タヴナー、ギヤ・カンチェリといった作曲家が代表的である。
このころ、グレゴリオ聖歌が人々に好んで聴かれたことや、ポップスのヒット・チャートに以前の記事でも紹介した作曲家 グレツキーの「悲歌のシンフォニー」がランキングされたことも、この〈祈りの音楽〉〈癒しの音楽〉が台頭してきた要因だと感じる。
では、この〈祈りの音楽〉〈癒しの音楽〉とはどのような音楽か?
ここではアルヴォ・ペルトが1994年から1997年に作曲した連祷 Litany を紹介する。
ペルトは1935年 エストニアに生まれる。ペルトの生まれた頃、エストニアは独立共和国として黎明期であったにもかかわらず、独ソ不可侵条約のため、1940年にはソヴィエト連邦の勢力下に置かれてしまう。その後、エストニアはナチス・ドイツの支配下になった一時期を除けば、54年間ソヴィエト連邦の一部のままだった。
なので、ソヴィエト連邦外部からの音楽的影響は皆無に等しく、入手可能な物と言えばせいぜい非合法のテープとスコア程度だったので、ペルトは若い頃、西洋前衛音楽の影響を多く受けるということはなかった。
このLitany は東方教会の教父、聖ヨハネス・クリュソストムスの祈りをもとにオレゴンバッハフェスティバルからの委嘱を受けて作曲された。
ペルトはこれを修道院で作曲している。修道院とは祈りの場で、そこには昼も夜も交代で祈り続ける修道士たちがいる。この音楽はまさに徹頭徹尾、「祈りの音楽」。「心に響く音楽」とはこのようなもの、という気持ちになれるのではないか。
シュトックハウゼン_ヘリコプター弦楽四重奏曲
この時期に書かれた重要な作品は他にもある。このシリーズでもたびたび紹介している作曲家 シュトックハウゼンが作った「ヘリコプター弦楽四重奏曲」だ。
この曲は演奏方法と作品を聴くスタイルがとても特殊で、メンバー各自が4台のヘリコプターに別々に乗り込み、その様子は逐一4つのモニターで劇場に中継される。やがてヘリコプターは離陸、演奏者はそれぞれヘッドフォンをつけ、タイムクリックだけを頼りに自分のパートを演奏。彼らの演奏の様子は、飛行中のヘリの物凄い爆音とともに劇場へ転送されそこでミキシングされてようやく作品となりそれを劇場の聴衆は聴く、という形になる。
昨今のコロナ禍でインターネット上での、「オンライン・アンサンブル」が話題となっているが、その先駆的な作品がこの「ヘリコプター弦楽四重奏曲」だ。
ジェラルド・グリぜー_Vortex Temporum
また、1998年に52歳の若さで急逝したジェラルド・グリゼーも1994年から1996年にかけてVortex Temporum 日本語で時の渦という大作を完成させている。
こちらの作品は彼が同胞トリスタン・ミュライユと共に創り上げたスペクトル楽派と呼ばれる音楽の、一つの極みといえる。
まとめ
チェックポイント
・1990年から2000年までの10年間は世界ではインターネットの誕生と、資本主義と社会主義の長い長い戦いの終結というとても大きな出来事が起こり、新たな時代の幕開けが起きた。
・音楽界も、20世紀を牽引してきた音楽家たちが相次いで亡くなり、一つの時代の終わりを感じさせた。その中でも、「ヘリコプター弦楽四重奏曲」など現在の音楽界を先取りするような作品も作られ始め、「21世紀の音楽」の萌芽が見られたこと。
「20世紀の音楽史」シリーズの包括
この「20世紀の音楽史」シリーズでは第一回目の1900年から1910年の回から今回の最終回までで、100年間の音楽、西洋発祥の音楽にフォーカスを当てて解説してきた。
300年もの間続いた調性音楽が、人類史上初めての世界規模の戦争である、第一次世界大戦の前に壊れ始め、ファシズムとともに新たな音楽が出てくる。その反動で昔を懐かしむようなスタイルの音楽も出てきたり、アメリカという国が覇権を持ち、現在の世界にあふれるポピュラー音楽の礎を築く。そして第二次世界大戦後はアメリカ対ソ連、資本主義と社会主義の二項対立が世界の中心となり、グローバル化も相まって、世界中に西洋音楽の理論、スタイルが広がり、それぞれの国の音楽と融合しながら、大変多くの音楽が生み出されてきた。
本当に様々なものが生まれ、例えばハリウッド映画に前衛音楽の作曲家が映画音楽を作成する、というのが一つの大きい例だろう。そして1990年前後からは、インターネットの普及により国際経済市場の元、様々な音楽が目まぐるしく紹介され消費されていく、という形が作られ、現在2020年代に入りこの流れはますます加速している。
消費資本主義がさらに加速するこれからの世界、音楽はどのように変化していくのか。
またはその逆で、今生まれている音楽で、一回聴いただけでは理解できない、いわゆる「前衛音楽」と呼ばれるものが私たちの未来を予見しているかもしれない。今まで観てきた20世紀の音楽の歴史から見てもそのような流れになっていると思う。
芸術や芸能はただの消費者のための娯楽ではなく、世界の気配を感じとる、人間社会の最も鋭いセンサーである。
何事も変わりのない日常において、偉大な芸術作品はしばしば「何の役に立つのかわからないもの」といぶかられる。でもそれは最もで、常識が崩れる世界を察知するのが音楽だったり芸術なのだ。
このシリーズでは、歴史と音楽の関係性というところに軸を置いて解説してきた。
音楽を聴いて楽しむ、ということは最も重要だし、それが間違いなく全てなのだが、なぜこのような作品を作曲家は作ったのか?
この作品が生まれた時の社会の様子はどのようなものだったのか?
と少しでも興味を持ってもらえたらそれだけで、新しい世界を見ることができ、音楽の楽しみ方もより一層深まっていくだろう。
このシリーズが、読者の方々にとって20世紀の音楽に触れる時の簡単な案内の一つになれば望外の喜びである。