本記事では1910年 -1920年の欧米及び日本を中心とした音楽史を解説する。
- 略年表
- 1909年 「未来派宣言」発表
1910年 韓国併合
1914年 第一次世界大戦開始
1917年 ロシア革命
第一次世界大戦の勃発、そしてロシア革命と大きな事件が立て続けに起きるが、ここではまず1909年のイタリアで起こった「未来派宣言」の発表という重要な出来事から記していきたい。
イタリア
1909年、イタリアの詩人フィリッポ・マリネッティがフランスの新聞「フィガロ」に「未来派宣言」というものを発表した。
未来派
そもそも、未来派とは一体何か?
未来派とは、過去の芸術の徹底的な破壊と、機械化によって実現された近代社会の速さを称えるものである。この運動はイタリアを中心に文学、美術、建築、音楽と広範な分野で展開された。過激な思想も持っていて戦争を「世の中を衛生的にする唯一の方法」として賛美した。つまり『戦争を肯定・推進する』という今ではとんでもない思想であった。
マリネッティはその宣言の中で、芸術家に必要なのは勇気、大胆、反乱の三つであり、現代において新しい美とは「速度の美」であるとして自動車や飛行機など20世紀が生んだ新しい交通手段を称えた。
マリネッティの未来派宣言からの引用を紹介する。
戦争は美しいものである。なぜなら、ガスマスク、威嚇拡声器、火焔放射器、小型戦車、これら機械を人間の力が支配しているということを証明できるからだ。
5人のイタリア人画家がその主張に賛同し、1910年 「未来派画家宣言」を発表。5人の画家は下記のような絵、近代工業都市のエネルギーや都市の人工的な照明、自動車、兵士の行進などを抽象的な手法で力強く描いた。
この5人の画家の中には元々音楽が専門であった、ルイジ・ルッソロがいた。独学で絵画を学び独特の画風で絵を描いていたが、未来派の表現が絵画だけでは不十分と考えた彼は、1913年「雑音芸術・未来派宣言」を発表し、そこでこのように主張している。
複雑で不協和な響きへと次第に向かいつつあるのが、現代の音楽の特徴である。その結果、音楽はやがてノイズへと行き着くだろう。ノイズは音色の豊かさをもたらしてくれる。ベートーヴェンやワーグナーが私たちの心を動かしてきたように、今度はエンジンの出すノイズや群集のざわめきが私たちを楽しませてくれるだろう
さらに彼はこうも述べている。
・・・繊細な耳があれば、ノイズがどれだけ多彩なものか分かるはずだ。現代の都市にあふれる機械や電気のノイズを聞き分けることに、私たちは喜びを感じることができるのだ・・・
雑音楽器 イントナルモーリ
彼はこうした主張に基づき「イントナルモーリ(日本語で雑音楽器)」というオリジナルの楽器を考案した。イントナルモーリとは「調律」と「騒音」の合成語で、いわば「調律された、しっかり整った騒音機械の楽器」という意味である。実際にその楽器で雑音音楽なるものを奏でてみせた。有名なものが、1913年に発表された《都市のめざめ》と言う曲で、そこでは機械の氾濫し始めた都市の様々な高さの異なるノイズが轟いている。残念ながら、その楽器の音の記録は残されておらず、その巨大楽器も第二次世界大戦の戦火に巻き込まれてなくなってしまい現在では写真しか残っていない。ただ、当時の資料を参考にして復元したものは残っていて音も聴けるようである。
フェラーリの音は芸術?
未来派の主張の多くは、明らかに現代文明を過大に評価し、その後のファシズムへとつながる軍国主義的、差別的なもので到底評価できるものではない。しかし、「未来の人々は、雑音を音楽として楽しむようになるだろう」というルッソロの主張は、どうやら間違ってはいなかったようだ。
例えば車のエンジンの音。車好きな方はエンジンの音が好きなので、走行中は音楽やラジオはかけないことが多い、ということを聞いたことがある。またテレビでF1グランプリを観ると、アクセルを踏み込んでスピードを上げた時にF1マシーンが発するエンジン音の凄さは画面を通してでも伝わってくる。それは「音を聴き、空気の振動を身体で感じる」といった感じで、サーキットを訪れているF1ファンの方々は、こうして素晴らしい車のエンジン音を体感することが喜びの一つなのではないかと思う。何を雑音というのか、ということはまた別の問題だが、車のエンジンの音、例えばフェラーリの音もイタリア未来派のルッソロが描いていた未来の音楽の一つなのかもしれない。
フランス
さて、このルッソロが「雑音芸術・未来派宣言」を発表し《都市のめざめ》で「雑音芸術」と言うアートスタイルを世に発表した同じ年(1913年)にフランスのパリではもう一つの「雑音」による新しい音楽が登場した。
春の祭典
ロシアが生んだ巨匠 イゴール・ストラヴィンスキーの《春の祭典》だ。後に三大バレエ音楽といわれることになる作品、火の鳥(1910年)、ペトルーシュカ(1911年)に次ぐ最後で最高の作品である。初演の時は冒頭ファゴットのソロから聴衆の失笑をうみ、次第にヤジと怒号の嵐につつまれ暴動が起きるという大スキャンダルとなった。その様子は当時の新聞にも大きく取り上げられ、見出しで大きく「春の祭典」をもじって「春の虐殺」と酷評された。
なぜこの曲がそのような散々たる結果に終わったのか?
それはロシアの古い民謡や信仰の世界を描き出すために、あえて不協和音と激しいリズムを用い、美しいメロディーというものが存在しなかったため、従来のクラシック音楽の枠組みを大きく踏み外していたからであった。当時の聴衆にとって、それは自分たちが発しているヤジや怒号と同じように「雑音」にしか聞こえなかったのだ。
原始主義
こうした彼の音楽スタイルは、その後バーバリズム(原始主義)と呼ばれることになる。原始主義とは人間の持っている本来の激しい力、原始的な強さを音楽で表現する思想や運動である。彼はこの後も「新古典主義」の音楽、「12音技法」を使った音楽など次々に新しいスタイルの音楽を提案し「カメレオン」とあだ名をつけられることにもなる。ストラヴィンスキーは、未来派のルッソロとは違う意味の「雑音」を音楽へと変える先駆者となったのだった。
ベラ・バルトーク
この原始主義にはハンガリー出身の作曲家ベラ・バルトークの初期の時代も当てはまる。バルトークは自国のハンガリーとその周辺地域の民族音楽を採集して研究することによって、独自の音楽を作り上げていった。1911年のピアノ曲 アレグロ・バルバロ、第一次世界大戦期に作られた弦楽四重奏曲第二番は、エネルギッシュな音の連打を用いて人間の生命力を感じさせる作品となっている。
日本
さあ、この2つの大事件、イタリア未来派による機械音楽と暴動を巻き起こした《春の祭典》の原始主義音楽がヨーロッパを賑わせている中、日本の音楽シーンはどのような感じだったのであろうか?
ざっくり一言で言い表すと、1910年代は赤とんぼやペチカといった有名な童謡を作曲した作曲家、山田耕筰の独壇場であった。西洋音楽の教育を目的として1887年に創立された東京音楽学校に入学した山田はそこを卒業後、1910から1914年の間にドイツのベルリンに留学し、当時のクラシック音楽界の巨匠マックス・ブルッフやフーゴ・ヴォルフに作曲を習った。1912年には交響曲「かちどきと平和」が作られ第一次世界大戦が勃発した1914年に日本で初演された。この交響曲は日本人が初めて作った交響曲である。伝統的なクラシック音楽の手法と表現主義などその当時のヨーロッパのスタイルを掛け合わせて曲を作るなど、「現代音楽」の作曲にも精通していたことが注目される。
アメリカ
最後にアメリカの音楽にも注目したい。
後にジョン・ケージやモートン・フェルドマン、イギリスアカデミー賞作曲家のフィリップ・グラスなど、重要な音楽家を輩出し、ヨーロッパと共に「現代音楽」界を牽引していくアメリカだが、ここではすでにその萌芽が見られる。アメリカにおける「現代音楽の父」チャールズ・アイブスを紹介する。
チャールズ・アイブス
アイブズは1874年に生まれ。イエール大学でも作曲を学び卒業するが、自分の理想の音楽を追究しては生計が立たないとの見込みから保険会社に勤め、純粋な職業音楽家として活動したわけではなかった。1928年以降全く作曲をしなくなってしまったということもあり、長い間公に演奏されることはなく20世紀前半の音楽史からは忘れ去られてしまった存在だったのだが、第二次世界大戦後、アイブズの最晩年になってから再び注目されるようになり、現在は熱烈な支持者が多く存在して世界中の演奏会によく取り入れられている。注目すべきは無調性やクラスターなど、ヨーロッパの音楽家達が作り上げた様々な新しい音楽の書法を彼らより早く見出しているということだ。もしアイブズが職業作曲家として生涯盛んに作曲していたら、アメリカの音楽界はさらに大きな変化を起こしていたかもしれない。1910から16年にかけて作曲された交響曲第4番はアイブズの代表作と言われ、様々な賛美歌が引用されている。
まとめ
第一次世界大戦で欧州・ロシア・日本・アメリカが参戦した初の世界規模での戦争は、その後音楽界に様々な影響を及ぼした。第一次世界大戦での疲弊が大きな要因となり、1917年に革命が起こったロシア帝国。その後の1922年にソ連が成立し独自の路線を歩み始め、音楽の分野もそれに伴った展開をみせる。また、戦後新たに2つの新しい音楽体系が生まれた。『1920年 – 1930年の音楽史』ではそこについて解説する。
チェックポイント
・マリネッティやルッソラたちが過激な「未来派宣言」を発表して、過去の芸術の破壊と機械化による近代社会を賛美し戦争を肯定した。その中から「雑音芸術」と呼ばれるものが生まれ、後世に少なからず影響を及ぼした。
・同じ時期にストラヴィンスキーの三大バレエ、特に春の祭典が大スキャンダルとなり、原始主義という音楽運動が注目された。
・日本では作曲家山田耕筰が日本初の交響曲を作るなど日本音楽の西洋化が本格的にスタートした。
・アメリカ現代音楽の父、アイブズも盛んに活動をしていた。
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