1900年 – 1910年の音楽史

1900年 – 1910年の音楽史

本記事では1900年 -1910年の西洋を中心とした音楽史を解説する。

詳しく見ていく前に、20世紀の歴史と音楽を作り上げている根っこの部分、土台について述べたい。

「20世紀」の“土台”

20世紀とは

戦争

情報化

国際化

という3つのキーワードで表せると考える。

・科学技術が進み飛行機が開発され、人々の交流が盛んになり国際化が進んだ

・インターネットができて、情報化が進んだ

・世界のどの国も一般市⺠が参加を強いられた世界戦争が2度も起こった

これらは、20世紀の歴史を語る上で最も重要で根本的な出来事である。これらの出来事が音楽の世界にも大きな影響を及ぼした。それまでは、⻄ヨーロッパを中心に発展した音楽 (クラシック音楽)と、その土地に根付いた⺠族音楽の2つが音楽の主流であった。 日本にも古くから固有の独自の音楽があった。しかし、科学技術の発展でより国際的な交流が簡単になると、はじめは東ヨーロッパやロシアが、次にアメリカ、日本と世界の様々な国にクラシック音楽が拡がっていく。20世紀の音楽はこのクラシック音楽が一大勢力となり、⺠族音楽とともに更に大きく発展していく。

20世紀の音楽の種類

20世紀の音楽の種類は、大きな括りで3つに分けられる。

大衆音楽

現代音楽

⺠族音楽

である。

⺠族音楽は変わらず在り続けたとして、残りの二つはクラシック音楽を土台としている。

一つは大衆に親しまれている音楽、「大衆音楽」と呼ばれるもので、現在のJ-popや洋楽がここに当てはまる。 クラシック音楽の特徴・土台といえるものはなんといっても「調性」や「和声」であり、それらを元において作られた「大衆音楽」が今日も、世界の音楽シーンのメインストリームになっている。対して、クラシック音楽の語法をさらに展開していったものが、「contemporary music = 現代音楽」と呼ばれるものだ。

この『20世紀の音楽史』では、「contemporary music = 現代音楽」を中心に、この西洋芸術音楽=クラシック音楽が100年の内にどのように展開していったのか、に焦点を当てていきたいと思う。

1900年 – 1910年

略年表
1900年 パリ万博
1903年 ライト兄弟人類初飛行に成功
1904年 日露戦争
1906年 サンフランシスコ地震

1900年というミレニアムに芸術の都フランスのパリで万国博覧会(通称万博)が開かれる。 パリ万博自体は 1851年に第一回目が開催されており、1900年までに4回もパリで開催されていた。日本も1867年のパリ万博から初参加し、ここから日本の文化「ジャポニズム」が広く普及していった。

印象主義

この国際交流は、これまでに出会ったことのない文化・芸術・音楽を多くの人々が知るきっかけとなった。さあ、この地で19世紀末、以前とは全く異なる傾向を持つ音楽が生まれてくる。それが印象主義と呼ばれる音楽である。 もともと、《睡蓮》の絵で有名なクロード・モネの作品《印象・日の出》に因んで誕生した美術の言葉が、音楽界にも転用されて使われた。

印象派の音楽とは、大変ざっくり言ってしまうと、「この絵のような音楽」という感じだ。自然や外の世界のイメージをそのまま音を使って表現していった音楽。この印象主義的な傾向のある作曲家は、ドビュッシー、ラヴェルの2人が代表的である。例えばラヴェルが1901年に発表したピアノ曲「水の戯れ」 は、 制御された噴水のような美しい水の動きや様子を見事に表しているし、1903年に作られた組曲 「版画」は、塔や雨の庭といった題名が各曲についており、作曲者自身「その世界をイメージしてかいた」と述べている。

表現主義

この印象主義に対して、人間の内部の、普段は表に出ないような追い詰められた感情、例えばはらわたがにえくり変えるような怒り、言葉にできないなんとも言えない不安といった生々しい情感を作品にしたのが、表現主義と呼ばれる音楽である。 ロマン派末期の流れを汲んで、それをさらに展開していったものだ。

人間に本来自然に備わっている感情を重視し、それを空想的、夢幻的、牧歌的な世界への憧れという形で表現したのがロマン主義である。 あの人が好き、きらいなどの恋愛を中心とした描写や激しい情緒や物語性に重点を置く。

それに対し、自然や現実世界のそのままのイメージを表現したのが、印象主義。感情という人工的なものから、その反対の自然を描く。 そしてまたその反動で「やっぱり人間の感情や壮絶な物語を大事にしたい」という気持ちが高まり、ドロドロした感情を表した表現主義に移り変わっていく。

ここまでの流れは

ロマン派→印象主義→表現主義

となる。

ヨーロッパの芸術作品は音楽も美術もこの人工と自然を常に行ったりきたりしているのだ。

さあ、この表現主義と呼ばれる音楽がどのようなものか? まずはこちらの絵をご覧いただきたい。

この絵は先ほどのモネの作品と全く違う。これらは人間の奥底にある感情の赴くままに描いた作品だ。表現主義の音楽とは、前掲載の絵画のようななんとも言えぬ、それでいて豊かさも感じる混沌の世界、という感じだ。

新ウィーン楽派

この表現主義を代表する作曲家は

シェーンベルク

ウェーベルン

ベルク

に代表される、新ウィーン学派と呼ばれる者たちである。

新というからには旧があるわけで、「初代」ともいうべきウィーン楽派は、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンに代表される、18世紀後半から19世紀初頭にウィーンで活躍した作曲家達のことを示す。新ウィーン楽派の彼らはいわば第二世代というわけだ。

アルノルト・シェーンベルク

この新ウィーン楽派の祖、シェーンベルクは無調音楽および後に紹介する十二音技法を開拓し、クラシック音楽の分野において現代音楽と呼ばれている新しい音楽の礎を築いた。この無調音楽は、クラシック音楽の語法を展開して登場した音楽なのだが、この音楽はそれまでの⻄洋音楽史にまさに「革命」を起こした。それまでのクラシック音楽は17世紀からおおよそ300年にわたって「調性(キー)」や機能和声によって支えられてきた。それがここで崩壊する。

シェーンベルクはなぜこの完成された調性の世界、調性王国を崩壊してまで新たな世界を築かなければいけなかったのか?これから世界を巻き込む世界大戦が始まるような気配、世界全体が不安定な情勢だったということもあるが、ここではシェーンベルク自身に起きたプライベートでのある悲劇に注目する。

1908年の夏、シェーンベルクの妻マティルデが夫婦で親交のあった若い画家ゲルストルと駆け落ちをしてしまう。ウェーベルンの仲介でマティルデはシェーンベルクの元に戻ったが、その一ヶ月後にゲルストルは自殺をしてしまう。この悲劇がシェーンベルクに深い傷を負わせ、その後すぐに完成されたものが2つの歌曲弦楽四重奏曲第2番。調性の中だけで表現できる限られた世界だけでは表すことのできない特別な感情・思いをこれらの曲にぶつけたといえる。特に個人的にすごいなと思うのは弦楽四重奏曲第2番。まず嬰ヘ短調という基本の調性も凄いのだが、曲の最終章はソプラノも入り完全な無調となる。

アントン・ウェーベルン

弟子のウェーベルン、ベルクも師の教えを受けこの新しい音楽を吸収し、自身の感性とマリアージュさせて独自の音楽を作り上げていく。 ベルクは大まかに括ってしまうと、シェーンベルクのスタイルや思想を多分に受け継いでいる。対してウェーベルンは、シェーンベルクやベルクと比べると表現主義的な傾向はやや少ないが、2人とは違った魅力のある音楽を作った。

ルネサンスの音楽を研究して音楽学の博士論文を描いた後、作曲を始めたという異色の経歴の持ち主であるウェーベルンの音楽は、「格言集」みたいな音楽だ。

格言とは?

短いぴりっとした表現で、人生・社会・文化等に関する見解やその真髄について、簡潔に言いやすく覚えやすい形にまとめた言葉や短い文章のこと

切りつめそぎ落としたような鋭さと無駄のなさを感じさせる精緻を極めたスタイルは、後の音楽家にとてつもなく大きな影響を及ぼした。ウェーベルンに影響を受けた作曲家は数多く、ある意味では師のシェーンベルクよりも多くの影響を与えている。ブーレーズ、ケージ、 シュトックハウゼン、武満徹、ファーニホウなど、枚挙に遑がない。彼ら新ウィーン楽派の音楽・美学・思想が「現代音楽」の土台となっているのである。

まとめ

チェックポイント

・20世紀の歴史は、戦争、国際化、情報化であり、その3つの出来事は、音楽の分野にも大きな影響を及ぼした

・20世紀の音楽は、⺠族音楽、大衆音楽、現代音楽と大きく3つに分けることができ、現代音楽は特に、20世紀の出来事と密接に関わり合いながら展開している

・1900-1910年の音楽は 印象主義の反動で表現主義が生まれ、シェーンベルク・ウェーベルン・ベルクの新ウィーン楽派が、調性音楽を崩壊させるという革命を起こし、無調音楽の作品を出し始めた

・新ウィーン楽派の音楽・美学・思想が今後さらなる展開をみせる「現代音楽」の土台となっている

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