本記事では西村朗さんの経歴や作品について、そして彼の作品の一つである無伴奏ヴァイオリンのための曲「木霊」を、演奏家の立場からの視点も交え解説する。
西村朗について
生い立ち
1953年、大阪生まれ。一人っ子で両親は音楽に興味はなく、幼少期は町工場的な環境のもと音楽には全く縁もゆかりもない生活を送っていた。そんな中、小学5年生の時に学校に放送部ができ放送部員になる。ある日給食時にシューベルトの《軍隊行進曲》をかけた時、ああ、これが音楽なんだ!と、とても感動し、音楽というのはとても不思議な力を持っていると感じたそうだ。そこから音楽というものに全身で震えるように引き寄せられた。
その後中学校に進学し、ピアノ・作曲の勉強を開始。中学1年生にして、マーラーの交響曲第6番やバルトークの弦楽四重奏曲を愛聴し「現代音楽」という世界にどんどん引き込まれてく。中学・高校時代は、武満徹をはじめクセナキス、リゲティ、ペンデレツキという作曲家に傾倒、楽譜やレコードからたくさんの音楽を吸収していく。17歳の時に1970年 大阪万博が開催され、その周辺にあった現代音楽祭で生の現代音楽を聴いたこともとても刺激となったとのことだ。
大学は東京芸術大学に進学、同期の青島広志、鈴木雅明、藤井一興といった錚々たる音楽家と共に切磋琢磨し、在学中より「題名のない音楽界」作曲コンクール入賞や、第43回日本音楽コンクール第1位など輝かしい活躍を開始した。
現在、国内外の団体から作曲委嘱を受け、また東京音楽大学教授として後進の育成にも力を注いでいる。
思想
・宇宙のざわめきに満ちたヒンドゥー教的世界への共感
・理知では割り切れないシューベルト的な啓示の世界
・日蓮宗に入れ込んでいた祖父から受け継いだ仏教の世界
上記3つが西村氏の思想の根底にあり、作品のベースになっていると思う。
ヨーロッパ的な思想かアジア的な思想かといわれたら、確実にアジア的だ。
西村さん自身、思想面での師匠として、日本のデザイン界の逸材でありアジアの図像学研究者である杉浦康平氏を挙げ、
杉浦先生によって示された「アジアの宇宙観」は私の作曲に絶大な影響を及ぼした。
出典:西村 朗 + 沼野 雄司「西村 朗の音楽 光の雅歌」(春秋社)2005年
と述べている。
さらに具体的に見ていくと
・1960年代に一世を風靡した不確定性や即興の音楽には冷ややか
・ヨーロッパ流の音楽への“適応不全”
・自分の内的宇宙というものへのアプローチが唯一の欲求
上記のような思想もありそれら全てが合わさって、プロバガンダの音楽でも、数理的な技法を用いた音楽でもない、内面への遡行によって、音を拾い上げる独自の手法で作曲をしているということがわかる。
作品の特徴・技法と代表作
・ヘテロフォニー
・ドローン
・生と死の重なり合っている領域(ゾーン)を描く
まず、西村朗=ヘテロフォニーの作曲家、と言っても過言では無いほど、ヘテロフォニーへの理解は重要だ。
ヘテロフォニーとは、旋律は一つだけだがときおり旋律から遊離して、部分的に偶発的なポリフォニーを生ずるもの。ヘテロフォニーについては、別記事でまた詳しく記す。
次にドローンで、こちらも重要。
ドローンとは、単音で変化の無い長い音を指す音楽用語で、瞑想曲に近い効果を発揮し音楽的な流れが良くなる。西村作品では、〈雅歌IV〉(1988)で、ヴァイオリンとチェロの開放弦のレとラを不変のドローンとし、その上に生じるヘテロフォニーの可能性を探ろうとしたものになっている。
最後は、領域(ゾーン)を描くという点だ。
ヘテロフォニーやドローンといった作曲技法を見出し、そのスタイルを確立した1980年代・90年代を経て、2000年代から現代は、それを使って何を言いたいのか、というところにいると、西村氏は述べている。
ヴァイオリン曲をみても、年代によって作品テーマも曲の様式も異なる。
アジア的な思想世界のもとに作り上げられる独自の音世界_
西村作品について端的に表すとこのようになるだろう。
「木霊」について
解説
作品タイトルの「木霊(こだま)」には、二つの意味がある。ひとつは木に宿る霊(tree spirit)であり、もう一つは谺(echo)である。
深山の樹林の中に立つと、様々な音が聴こえてくる。近くや遠くの木々の発する様々な響き、ざわめき。風音や鳥の声、なにかわからぬ音や声。それらの響きは呼吸して立つ自分の奥深くへしみ入ってくる。心は乾き湿った有機無機の響きに裸でさらされて緊張しつつときめく。その響きにヴァイオリン・ソロで応答する。心の根源的な震えが発するエコーのように。
自然界の樹林の多彩でスピリチュアルな響きへの応答として、ヴァイオリンは様々な声を発する。結果、短いがきわめて技巧的な曲となった。…
出典:西村朗:無伴奏ヴァイオリンのための〈木霊〉(株式会社全音楽譜出版社)
作品動画の紹介と実演の感想
実際に演奏してみて、確かな形式やメロディーを用いた主張のもと、ヴァイオリンのもつ色々な音色をとても巧みに使い表現している、という印象を抱いた。そして、何よりヴァイオリン奏者にとって無理がなく弾きやすい。技巧的なパッセージの部分もあるが、決して不可能でも、それが誇張しすぎるでもなく、音楽の表現として絶妙なラインにのっている。奏者としては、作者の作品へのヴィジョンが明確であり且つ技巧的に不可能性がない、ということは嬉しい。
西村朗と同年代の作曲家を知ろう
国内外から一人ずつ紹介する。
まず国内は細川俊夫氏。
細川氏は1955年、広島生まれ。19歳で韓国の巨匠作曲家イサン・ユンに師事するため渡独。その時分からドイツと日本に拠点を置いて活動をしている。二人の歩む道は違うが、細川氏の作品もヨーロッパ流の要素を入れつつ、日本やアジアの伝統芸能を作品に取り入れたりと、共通している部分もある。
日本やアジアに対する二人の作曲家の感覚の違いを楽しむ_
そのような聴き方も楽しいだろう。
国外ではドイツのウォルフガング・リーム。
1952年、ドイツのカールスルーエ出身。11歳の時から作曲をはじめ、カールハインツ・シュトックハウゼンやクラウス・フーバーに師事。前述した細川氏は1982年、ダルムシュタット国際現代音楽夏季講習会でリームから作曲のレッスンを受けている。2020年3月までに400曲を超える曲を生み出している多作家で、ありとあらゆる楽器のために作曲をしている。特殊な音響効果や奏法などはあまり使わず、伝統的手法で作られた曲が多い。
以上2名の作曲家の音楽を、西村氏の作品とともに聴くと
同じ年代でも、育つ環境や国民性の違いにより、生まれる作品がこんなにも違うのか(当たり前と言えばそうであるが)
と、感じられるはずだ。
まとめ
・西村朗は在学中より賞を受賞など輝かしいキャリアを持つ、現在日本現代音楽界の第一線に立つ作曲家
・西村の作曲の根底にある代表的な思想は ①ヒンドゥー教的世界 ②啓示の世界 ③仏教の世界
・西村の作品の特徴や技法は ①ヘテロフォニー ②ドローン ③生と死の重なり合っているゾーン
・無伴奏ヴァイオリンのための曲「木霊」は、奏者にとっても無理がなく、心地よい曲
・西村氏と同時代の作曲家と比べて聴くことで一層魅力を知り音楽観賞を楽しもう