1980年 – 1990年の音楽史

1980年 – 1990年の音楽史

本記事では1980年 -1990年の欧米、ソビエト連邦及び日本を中心とした音楽史を解説する。

1980年代の外観

年表
1980年 イラン・イラク戦争(〜1988年)
1986年 チェルノブイリ原発爆発
1987年 米ソ、中距離核戦略全廃条約に調印
1989年 ベルリンの壁 崩壊 / マルタ会談

1980年代はイラン・イラク戦争が起こったり、多くの市民が使用可能になるのは90年代に入ってからではあるがインターネットが誕生したり、現在にもかなり関係の深いことが起こった。そして何より大きな出来事は、ベルリンの壁が崩壊しマルタ会談後冷戦が終結したことだろう。

この冷戦の終結は1991年に起こるソ連の崩壊にも繋がっていく世界のとても重要な事件の一つで、世界中がこの終結で世界が平和になると希望を抱いた。

新たな世界の創造が期待される空気に音楽界も呼応しているのか、1980年代の音楽界では、世界的にポスト・モダニズムが盛んに行われた。

ポスト・モダニズムとは、1950年代から60年代にかけての新しい様式を探求する前衛的な芸術運動に対して、行き詰まりを見出し、そこから抜け出そうとする運動のことである。

ニュー・シンプリシティ(新しい単純性)

具体的には、その新しい様式の中にわかりやすい、調性感を伴ったメロディーを入れるなど古典的な方法を取り入れたりする。特にドイツではこの時期、1950年代生まれの作曲家による「ニュー・シンプリシティ」、日本語で新しい単純性 と呼ばれる音楽が注目を浴びていた。戦後ヨーロッパのほとんどの作曲家たちがダルムシュタットの講習会でのレクチャーやディスカッションの中から、自分の新しい方向性を見出していったのに対して、もっと若い世代の彼らは、セリー音楽やクラスターといったものに同意せず、より感覚に訴える、生命感のある音楽を求めようとした。その結果、スタイル的には色々なものを混ぜた複合的な音楽が生まれたのである。代表的な作曲家は現在のドイツ、ヨーロッパ音楽界の重鎮 ヴォルフガング・リームマンフレット・トロヤーンハンス=ユルゲン・フォン・ボーゼの名前が挙げられる。

ヴォルフガング・リーム : 弦楽四重奏曲第3番「胸裡」

一方、アメリカではジョージ・クラムジョン・コリリアーノヨーゼフ・シュヴァントナージェラルド・レヴィンソンといった作曲家たちが、この「ニュー・シンプリシティ」の枠組みに入ってくる。しかし、彼らは「新ロマン主義の作曲家」という感じでアメリカではカテゴライズされているので、ここでは「ニュー・シンプリシティ」と「新ロマン主義音楽」を分けて紹介したい。

新ロマン主義音楽

ジョン・コリリアーノ は1999年、映画レッドヴァイオリン でアカデミー作曲賞を受賞したアメリカ現代音楽界現在の巨匠だが、彼は1988年にもエイズを題材とした交響曲第一番を作曲して話題となった。

新ロマン主義音楽は統一的な主張を持っていないので、印象主義や表現主義のような一つの明解な音楽概念ではないが、19世紀ロマン主義が持つ、自己の表現や調性の復活、交響曲やオペラといった伝統的な形態の継承といった点に、彼らの共通性を観ることができる。

多様式主義音楽

ソ連でも少し、この新ロマン主義的な音楽が作られることはあったが、以前少し紹介した色々な作曲技法をごちゃ混ぜにして曲を作る多様式主義の音楽というものが、1980年代の後半になって、ヨーロッパの音楽が覇気を失ってきた頃に一躍注目を集めた。

アルフレート・シュニトケがこのポスト・モダニズムを代表するソ連の作曲家だ。

ニュー・コンプレキシティ(新しい複雑性)

このようにポスト・モダニズムの時代に入り、前衛的な音楽は一切影を潜めてしまったかというと、決してそうではない。

確かに、60年代までの「熱い前衛の時代」は終わった。しかし、さらに前衛的な音楽もポスト・モダニズムの音楽と並び、脈々と続いている。

例えば、ニュー・コンプレキシティ、日本語で新しい複雑性と呼ばれる、作曲家たちの作品が良い例だろう。

新しい複雑性の生みの親とされているのは、この20世紀の音楽史シリーズでも度々紹介している、イギリスの作曲家 ブライアン・ファーニホウだ。

デビューから幸先が良かった訳ではなく、最初は「遅れてやってきたセリー主義者」というレッテルを張られていた。後に、トータル・セリー、ポスト・セリーの欠陥を合理的に追究し、譜面の隅々まで繊細に描きこまれた作風を樹立し、徐々に世の中に認められていった。70年代終わりから、ダルムシュタットの講習会で講師を務めて多くの弟子が彼の手法に感化され、その作曲法を用いて自己のスタイルを確立していき、この新しい複雑性は有名な楽派となっていったのだ。

有名な曲は、作曲に数年を要したピラネージの連作版画に基づく連作「想像の牢獄」。この曲はアンサンブルとソロの作品の七曲からなる連作で、特に、アンサンブル作品では超絶技巧の限界に挑むシーンが多くみられ、鬼気迫る音響が聴かれる。

ブライアン・ファーニホウ : シャコンヌ風間奏曲 想像の牢獄より

この連作の全曲上演を可能にしたドナウエッシンゲン音楽祭でファーニホウは作曲家としての名声を決定的にし、「20世紀の最も優れたイギリス人の作曲家」という評価を確立。弟子には、ジェィムズ・ディロンマイケル・フィニッシー、ライプツィヒ音楽院の作曲家教授であるクラウス・シュテファン・マーンコプフらがいる。

楽器によるミュジック・コンクレート

また、ドイツの作曲家 ヘルムート・ラッヘンマン はポスト・セリー音楽を模索するなかから、独自の「楽器によるミュジック・コンクレート」、楽器の音を伝統からどのように切り離し、自分独自の素材へと異化していくかを追求する創作を試みてきた。特殊奏法ばかりで、思いも書けなかったような演奏法を要求する彼の作品も、未知の新しさを求める前衛の精神を受け継いでいる。

スペクトル楽派

フランスのポスト・モダニズムの音楽としては、前回ご紹介したスペクトル楽派から、オーケストラのためのゴンドワナ(1980年)など、重要な作品が誕生した。

下記にスペクトル楽派 作曲家 フィリップ・ユレルのヴァイオリン・ソロ作品動画を掲載する。

フィリップ・ユレル : TRAIT

日本

この時期の日本では、音楽的な流れとしては同時代の欧米の流れに沿う形になる。

新しい出来事としては、若い世代を発掘しようとする作曲コンクールが新たに設けられた。

作曲コンクール 年表
1982年 今日の音楽・作曲賞
1984年 現音作曲新人賞
1991年   芥川作曲賞
1991年 秋吉台国際作曲賞

まとめ

チェックポイント

・新ロマン主義(アメリカ etc.)、新しい複雑性(ファーニホウ発)、スペクトル楽派(IRCAM発)、多様式主義音楽(ソ連)といったポスト・モダニズムが世界で盛んに起こった。

・日本では、作曲コンクールが開催し始め新たな音楽及び音楽家発掘の一つの指針となっていった。

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